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東京高等裁判所 平成9年(行ケ)213号 判決

原告 日野製薬株式会社

代表者代表取締役 日野文平

訴訟代理人弁護士 秋吉稔弘

同弁理士 瀧野秀雄

同 吉田隆志

被告 長野県製薬株式会社

代表者代表取締役 家高卓郎

訴訟代理人弁理士 網野誠

同弁護士 渡邊敏

同弁理士 小池子郎

同 網野友康

同 初瀬俊哉

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一原告が求める裁判

「特許庁が平成五年審判第一二二八二号事件について平成九年六月一三日にした審決を取り消す。」との判決

第二原告の主張

一  特許庁における手続の経緯

被告は、別紙審決書写しの別紙(1)表示の構成からなり、旧一類「もぐさ その他本類に属する商品」を指定商品とする登録第二〇五三八四七号商標(昭和六〇年一二月二三日登録出願、昭和六三年六月二四日商標権の設定登録。以下「本件商標」という。)の商標権者である。

原告は、平成五年六月一五日に、本件商標は、商標法四条一項一〇号及び一五号に該当するとして、その商標登録を指定商品中「薬剤」について無効にすることについて審判を請求した。

特許庁は、これを平成五年審判第一二二八二号事件として審理した結果、平成九年六月一三日に「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、同年七月二八日にその謄本を原告に送達した。

二  審決の理由

別紙審決書写しのとおり、後記引用商標は、本件商標の登録出願日前から需要者間に広く認識されていたものとは認定できないから、本件商標は、商標法四条一項一〇号にも一五号にも該当しない、とするものである。(なお、別紙審決書写しの別紙に表示されているとおり、本件商標の構成と、原告が自ら使用していると主張する別紙審決書写しの別紙(2)表示の標章(審決にいう「引用商標」)の構成は、事実上、全く同一である。そこで、本件商標と引用商標に共通する図形自体を、以下「本件標章」という。)

三  審決取消事由の要点

審決には審理不尽ないし理由不備及び事実誤認の違法があるから、取り消されるべきである。

(一)  審理不尽について

審決は、本件商標は商標法四条一項一五号に違反して登録されたものではない旨判断している。

しかしながら、審決は、引用商標が広く知られているか否か(同条同項一〇号該当性)を検討しているのみであって、本件商標が原告の業務に係る商品と混同を生ずるおそれがあるか否か(同条同項一五号該当性)については全く検討していない。すなわち、審決は、同号の要件の有無については全く検討しないままに、理由を示すこともなく、要件は存在しないとの結論に至っているものである。

したがって、審決の上記判断には審理不尽、理由不備の違法があり、この違法がその結論に影響することは明らかである。

(二)  事実誤認について

審決は、引用商標は本件商標の登録出願前に需要者間に広く認識されていたとは認定し得ない旨説示しているが、誤りである。

a 審決は、甲第三ないし第二四号証(本訴における書証番号)はいずれも原告があらかじめ用意した用紙を用い原告の求めに応じて証明したものと認められ、いかなる根拠に基づいて各証明者が証明したのか不明である旨説示している。

しかしながら、これらの証明書の作成者は、いずれも原告の業務の実態を知悉している者であって、各証明書が証拠価値を有することには何らの疑問もない。

また、審決は、甲第二五ないし第三八号証(枝番含む。以下同じ)は発行部数が不明である等と説示して、引用商標の周知性を否定している。

しかしながら、上記書証には全国規模で大量に販売されている雑誌、書籍が含まれ、また少なくとも長野県内の最有力紙である信濃毎日新聞が含まれているのであるから、その発行部数が明らかでないことを理由として引用商標の周知性を認めないのは失当である。

b 原告の前身は、昭和二二年七月に設立された日野製薬合名会社であり、原告が行ってきた製薬業は、同社の業務を継承したものである。同社のそのまた前身は、江戸時代から中仙道藪原宿で旅館業を営んでいた「日野屋」であり、日野屋は、その当時より御嶽山の修験者から伝わった生薬「百草」の製造・販売を家業として行っていた。日野屋は、昭和の時代(終戦前)に家業を生薬の製造・販売一本にしぼり、これが日野製薬合名会社に引き継がれた。

日野屋も日野製薬合名会社も、その製造販売する生薬の包装に本件標章を付していた。原告も、昭和四〇年九月三日の設立以来、主として、粒状の生薬である「百草丸」あるいは後には「日野百草丸」の包装に引用商標を付して販売するのみでなく、本件標章を用いた、全国的な広告及び販売を重ねて今日に至っており、例えば、本件商標の登録出願直前である昭和五九年一月から同六〇年九月までの粒状の生薬「日野百草丸」の出荷量は約二八三万壜を越えている。

このような経緯に照らし、引用商標が、本件商標の登録出願前に、地域的にはもちろん、全国的にも、「日野百草丸」を表示するものとして広く知られていたことに疑問の余地はない(なお、被告が製造販売する生薬は板状の「百草」が中心であって、粒状の「百草丸」の製造販売はわずかである。)。

第三被告の主張の要点

原告の主張1、2は認めるが、3(審決取消事由の要点)は争う。審決の認定判断は正当であって、これを取り消すべき理由はない。

一  審決不尽の主張について

原告は、審決は、本件商標が原告の業務に係る商品と混同を生ずるおそれがあるか否かについて全く検討していないから、審理不尽、理由不備である旨主張する。

しかしながら、原告は、審判手続において、引用商標が周知であるとして、本件商標が商標法四条一項一〇号に該当する事由を主張しているのみであって、本件商標が同条同項一五号に該当する具体的事由は何ら主張しなかったのであるから、審決が同号に該当するか否かについて具体的に検討しなかったのは、当然のことである。

なお、出願商標に対して他人の使用する商標(使用商標)を根拠に商標法四条一項一五号が適用されるのは、出願商標が使用商標と相抵触している場合以外の場合、すなわち、使用商標が出願商標と非類似であるか、または、使用商標の指定商品若しくは指定役務が出願商標の指定商品若しくは指定役務と非類似の商品若しくは役務に使用されているかであるものの、使用商標が極めて広く認識されている商標(著名商標)であるために、出願商標が使用商標を使用する他人業務に係る商品又は役務と混同を生ずるおそれがある場合であることは、一五号がその括弧書きで「第一〇号から前号までに掲げるものを除く。」と定めていることから明らかである。

二  事実誤認の主張について

(一)  原告は、甲第三ないし甲第二四号証の作成者はいずれも原告の業務の実態を知悉している者であって、各証明書の証拠価値に疑問はない旨主張する。

しかしながら、証明すべき事項が原告によってあらかじめ記載されている用紙を用いて作成された証明書は、具体的根拠が明らかにされない限り、安易に証拠価値を認めるべきではない。

また、原告は、原告が提出した書証には全国規模で大量に販売されている雑誌、書籍が含まれ、また、少なくとも長野県内の最有力紙である信濃毎日新聞が含まれているから、その発行部数が明らかでないことを理由として引用商標の周知性を認めないのは失当である旨主張する。

しかしながら、審決は、原告提出の書証の発行部数が不明であることを理由として引用商標の周知性を認めなかったのではなく、原告提出の書証によっては広告の回数等が明らかでないことを理由として引用商標の周知性を認めなかったのであるから、原告の上記主張は審決の説示に沿わないものである。

(二)  原告は、引用商標が本件商標の登録出願前に広く知られていたことに疑問の余地はない旨主張するが、これが事実に反することは、以下に述べる本件商標に関する経緯に照らして明らかである。

本件標章は、古くは江戸時代から、木曾地域において生産される生薬(「百草」、「奇応丸」、比較的新しくは、「百草丸」など)に、木曽御嶽神社に由来する薬効を期待しかつこれを表象するものとして、木曽地域の複数の者によって付されてきたものであったが、大正一〇年四月二三日に、家高幸太郎が本件標章と事実上同一の構成の標章について商標権を取得するところとなった(登録第一二八〇八八号)。この商標権は、大正一〇年七月八日に、同人に胡桃澤音八、瀧源太郎、小谷せつを加えた四名の共有となり、以後、上記四名あるいはその相続人らによる共有状態が続いた(ただし、この商標権は、昭和三六年四月二三日に、存続期間満了時における不更新によって消滅した。)。

昭和一一年六月二六日、それまでの個々の業者による家内工業的な生産方法を共同企業体による生産方法に移行させようとの意図の下に、同商標の商標権者や同商標の使用者を含む者らによって木曾製薬工業組合が設立され、同組合は、名称を昭和一六年七月六日に保証責任木曾製薬工業組合に、昭和一七年二月二一日に保証責任木曾売薬工業組合に変更した後、昭和一八年三月九日に統制経済下の統制会社として長野県売薬製造統制株式会社が設立されたのに伴い、業務を同株式会社に譲渡して、昭和一九年七月一四日、解散した。

長野県売薬製造統制株式会社は、その後、名称を、昭和一八年七月二七日に長野県製薬統制株式会社に、昭和一九年三月二六日に長野県製薬株式会社に変更して、今日に至っている。これが被告である。

この間、上記組合あるいは上記株式会社は、昭和三六年四月二三日に登録第一二八〇八八号商標が存続期間満了時における不更新によって消滅する前後を通じて、かつ、原告が使用を開始するまでは、専用的に、本件標章を使用して今日に至っており、その製造販売する百草などの生薬の販売量は、例えば終戦前ですら年間約四〇万袋に及んでいた。

昭和六〇年一二月二三日、被告の当時の代表取締役であった家高卯助は、本件標章につき、同人が代表取締役であった株式会社卯野薬房を出願人として登録出願し、昭和六三年六月二四日、設定登録を得た。

株式会社卯野薬房は、本件無効審判申立て後である平成六年四月二五日に、本件商標の商標権を被告に譲渡した。

以上のとおり、本件商標は、引用商標の使用開始よりはるか前から前記組合等によって使用されてきた標章に由来するものであって、本件商標の登録出願当時、需要者に広く知られていたのは、引用商標ではなく、本件商標である(なお、原告は、粒状の「百草丸」と板状の「百草」が異なる生薬であるかのように主張するが、両者は原材料及び薬効がほとんど共通し、需要者も同種の生薬と認識しているものである。)。

理由

第一  原告の主張一(特許庁における手続の経緯)及び二(審決の理由)は、被告も認めるところである。

第二  審決不尽、理由不備の主張について

原告は、審決は、本件商標の商標法四条一項一五号該当性について、すなわち、本件商標が原告の業務に係る商品と混同を生ずるおそれがあるか否かについて全く検討していないから、審理不尽ないし理由不備である旨主張する。

しかしながら、《証拠省略》によれば、原告が審判手続において本件商標の登録が無効であるとするその主張の根拠となる事実として主張したのは、引用商標の周知性及びこれに関する事項のみであることが明らかであるから、原告は、本件商標の商標法四条一項一五号該当性については、結局、該当する旨の結論の主張はしているものの、この主張を裏付けるべき具体的事実は、何ら主張していないことになる。引用商標は、本件商標と同一であり、使用される商品も本件商標の指定商品と同一ないし類似である以上、原告の主張する引用商標の周知性が、本件商標の同法四条一項一〇号該当性の根拠となり得るのみで、一五号該当性の根拠とはなり得ないことは、一五号括弧書きに「第一〇号から前号までに掲げるものを除く。」と定めていることから明らかであるからである。

そうであれば、引用商標の周知性を否定した審決が、特に具体的な検討を加えることなく一五号該当性を否定したとしても、格別問題はないものというべきである。審理不尽、理由不備をいう原告主張は採用できない。

第三  事実誤認の主張について

一  原告は、引用商標が本件商標の登録出願前に広く知られていたことに疑問の余地はない旨主張する。

確かに、《証拠省略》を総合すれば、引用商標は、その使用開始の時期は必ずしも明らかでないものの、少なくとも、本件商標の登録出願前の何十年にもわたって、原告の前身である日野製薬合名会社あるいは原告が製造販売した大量の生薬の包装に使用され、また、全国的な、あるいは長野県全域にわたる媒体によるものを含む、その種々の宣伝・広告にも使用されてきたことを認めることができ、このような事実の下では、引用商標が、本件商標の登録出願前に、原告によって使用されるものとして、広く知られていたと認める余地は十分にあるものというべきである。

二  しかしながら、原告によって使用されるものとして知られることと、原告の製品であることを示すものとして知られることは別のことであり、以下の諸状況を考慮すると、仮に、引用商標が、本件商標の登録出願前、原告によって使用されるものとして取引者・需要者によく知られるに至っていたとしても、それが、商品の出所を示すものとして、すなわち、それの付された商品が原告の製造・販売に係る商品であることを示すものとして、取引者・需要者に認識されていたものと認めることはできないというほかない。甲第三ないし第二四号証(証明書)には、その性質上、以下の資料から生ずる疑問を払拭するだけの証明力は認めることができず、その他にも、上記のように認めるに足りるものは、本件全証拠を検討しても見出すことができない。事実誤認をいう原告主張も採用できない。

(一)  原告自身、引用商標自体に、原告商品であることを示す性質があるとは考えていなかったと認められること。

《証拠省略》によれば、原告自身、本件標章は、特定の者によって独占されるべきものではないと考えて、すなわち、木曽地域の者、皆によって使用されてきたものであり、そのように使用されるべきものであると考えて、使用してきていたことが認められる。原告は、そのように考えたからこそ、後記認定のように、本件標章が、原告が使用を開始するよりはるか前から既に被告によって使用されてきているにもかかわらず、自らも使用し始めたのであろうと推測されるところである。そして、もし原告自身がそのように考えたのだとすれば、原告がそのように考えるべき歴史的、社会的背景と実態があったからであろうと考えることには十分合理性があるものというべきである。

(二)  原告使用前からの被告による本件標章の使用

《証拠省略》を総合すれば、被告による本件標章の使用について、前記被告の主張の要点二(二)の経緯を認めるに十分であり、そうすると、本件商標の登録出願当時、本件標章は、原告が製造・販売する生薬にも長年にわたって使用されてきたものであると同時に、被告が製造・販売する生薬にも、原告が使用を開始するよりも更に古くから長年にわたって使用されてきたものであったことが明らかである。

他方、このように、木曽地域という同一の地域で同一の種類の事業を営む原告及び被告によって同一の標章(本件標章)が同一あるいは類似の商品に長年にわたって大量に使用されてきているにもかかわらず、その間、本件訴訟に至るまで、本件標章の使用に由来する出所の混同等の問題が生じた形跡は、本件全証拠を検討しても見出すことができない。この事実は、他により確実で合理的な説明が可能でない限り、本件標章には、本来、出所表示機能が備わっていないことを根拠づけるものというべきである。より具体的にいえば、本件標章は、木曽地域で製造される木曽御嶽神社にゆかりのある生薬という商品自体を示すものとしての機能を有するものであって、特定の人とのつながりにおいて認識されるものではない、ということである。ところが、上記他のより確実で合理的な説明を可能にする資料は、本件全証拠を検討しても見出すことができない。

(三)  本件標章の歴史

上記(二)で認定したところによれば、本件標章には、その使用が古くは江戸時代に始まって以来、被告と原告とがともに使用してきた期間を含め、本件商標の登録出願に至るまでの間の少なくとも大部分の期間、一人の者によってではなく、木曽地域に根拠を置く複数の者によって、そこで製造される生薬に同時に使用されてきたという歴史があるということができる。そして、この事実は、上記(一)、(二)の事実の基礎をなすものとして、本件標章に、それの付された商品の出所(人)というより、木曽地域で製造される木曽御嶽神社にゆかりのある生薬という商品自体を示すものとしての機能を与える働きを有するものというべきである。

第四  以上のとおりであるから、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がなく、その他、審決にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。

よって、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山下和明 裁判官 宍戸充 裁判官春日民雄は退官につき署名押印できない。裁判長裁判官 山下和明)

〈以下省略〉

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